慰安婦問題や徴用工問題など「歴史戦」の最前線を精力的に取材する一方、明治以降の日本の近現代史の研究者として著書を持つ。
慰安婦問題とは、シンプルな「歴史的事実の有無」に関する問題ではなく、「歴史認識」という歴史を材料にした、政治や外交の問題である。
いかんせん認識の問題なので、誤認や、時には嘘も混ざりこむ。ゆえに、、、
「今、何が起こっているのか」しかわからなければ、本質が見えない。「なぜ、どんな歴史的背景があったのか」という観点から最前線の出来事を見なければ、何が真実で、何が虚偽なのか。そして、今、これから何が起ころうとしているのか、それを正しく見通すことはできない。
上島嘉郎とは、現代社会の最前線と歴史、その両方に精通し、両方とも広く、深く語ることができる稀有な論客の1人。
現代の政治や外交安全保障の最前線の出来事と歴史的事実を結びつけ、「点と点をつなげて語る」ことから、各方面の専門家からの評価も高い。
ジャーナリスト
上島嘉郎
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上島嘉郎が作った歴史講座を受けようと思えば、定価は32,780円(税込)です。
オンライン講座なので、スグに全てダウンロードできますし、iPadやiPhoneなどで通勤中に見ることもできます。いつでもどこでも自分の都合の良い時間に何度でも見ることができます。
私たちの祖先の歴史を知らないことは恥です。
「知識は力なり」と哲学者のフランシス・ベーコンはいいました。現代では様々な知識が本やネットで手に入ります。しかし、どんな知識よりも「自国の歴史の知識」ほど力になる事はないのではないでしょうか。
仕事のやり方など技術的な知識を得れば、その人の能力が上がって給料が上がるかもしれません。しかし、自分の国の歴史を知らなければ、その人間は、確固たる信念や価値観、軸を持てず、漂流してしまうでしょう。どんなに仕事が上手くいったとしても、どんなにカネを稼いだとしてもです。
自分の祖先の歴史を知ることで、自分自身が何者か気づくことができ、確固たるアイデンティティや信念を持つことができます。そして、「自立した人間」になれるでしょう。
アメリカを始めとした連合国は戦後、われわれ日本人の祖国の歴史への誇り、故郷や同胞への愛着、そして私たちの精神的な強さをとても恐れていました。2度と強い日本を見たくないと思い、私たちの思考を破壊し、精神を打ち砕くべく、私たちから「日本人のための歴史」を奪いました。
「祖先の歴史を知ることは、力なり」です。
われわれは今、1人も残さず、過去の先人たちの想像を絶するような努力と献身の上で、生活しています。誰1人例外なく、その恩恵を受けていない人はいません。それを知らぬ存ぜぬでは無責任ですし、何より恥ずかしいではありませんか。
ぜひ、この歴史講座から、あなたの祖先の話、お爺ちゃん、お婆ちゃんたちの本当の話を聞いてください。
小説『坂の上の雲』において司馬遼太郎は、日露戦争を戦った軍人や政治家、そして、個々の日本人たちの奮闘を美しく描き出しました。しかし、先の大東亜戦争については、「日露戦争の勝利で調子にのり、軍が暴走した」と言っています。しかし、日露戦争と大東亜戦争は、それほどまでに違いがあったのでしょうか?
歴史の教科書や名のある歴史学者がそう断言することはありませんが、日露戦争も大東亜戦争も、はっきり言って日本が仕掛けた戦争ではありません。日露戦争ではロシアの侵略に立ち向かい、大東亜戦争ではアメリカに戦争へと追いつめられたのです。どちらの国も軍事大国です。日本が積極的に戦争をする理由がありません。
日露戦争と大東亜戦争、その両者の違いは戦争の目的や性格ではなく、「勝ったのか」それとも「負けたのか」、その違いでしかないでしょう。「勝った」戦争の日露戦争は美化され、「負けた」大東亜戦争は激しく非難されている。それだけの違いでしかないように思えます。
それにも関わらず、私たちは大東亜戦争のみを否定し、そこに到る道筋すべてを否定しようとする傾向にあります。そこにはもちろん、「自衛の戦争だった」と日本人に言わせたくない戦勝国アメリカの強い意向があってのことなのでしょう。実際に、戦後7年間にわたるアメリカに占領中、私たち日本人は主権を奪われた状態で歴史教育を始めとした様々な「洗脳」を受けることになりました。そして、戦争に到るプロセスに対して特定の偏見を持って見るようになりました。
しかし、事実に基づき、正しく過去と現在を解釈しなければ、針路を誤ります。なぜ、戦争に突き進むことになり、なぜ敗れることになったのか。それを正しく知らずして、後世に正しい教訓を残すことができるでしょうか。
私たち日本人は日露戦争に勝利し、大東亜戦争には破れました。その違いは、一体、なんであったのか? もちろん、戦った国の国力の問題はあることでしょう。しかし、国力の巨大な国がいつも戦争に勝利するとは限らないことは歴史が証明しています。
私たちは何ゆえ、敗れることなったのか。史実を偏見なく理解し、いたずらに特定の集団を全否定することなく、敗因の真相を究明していくことこそが、懸命な態度だと言えないでしょうか。
だからこそ私たちは、上島嘉郎による歴史シリーズを世に送り出し、「日本人のための歴史」を取り戻したいと考えています。この講座を手にしたあなたは、日本復活に向けた戦いの一端を担うといっても過言ではないでしょう。
講義2 「藩閥 vs 政党」戦後のマルクス史観が目を背ける“第三軸”
06:06
講義3 「大日本帝国憲法と教育勅語」
教科書が教えない、十二の徳目「義勇」に込められた想い
13:33
講義4 「隈板内閣」帝国議会開設、政党内閣誕生、禍根を残す軍部大臣現役武官制
21:13
講義1 「幕藩体制から明治国家へ」明治維新が西欧の革命と決定的に異なる理由
11:36
11:36
13:33
06:06
21:13
日下公人(多摩大学名誉教授)
上島氏は、雑誌編集者として一時代を築くとともに、近現代史の研究者として戦後の通説とされた歴史観に縛られない「博覧強記」の人でもある。
虚と実が交じり合う歴史戦において、「日本の真実」を語れる貴重な論客だ。
杉田水脈(衆議院議員)
慰安婦問題、徴用工問題、沖縄独立問題など「歴史戦」の現場の最前線を知るジャーナリスト。戦前との連続性を断たれた「現代の欺瞞」について知り抜いていますから、上島さんの話を聞くと「過去」と「今」がつながります。きっと新たな視点が手に入ることでしょう。
三橋貴明(経済評論家)
「正論」編集長時代から有名な話なんですが、上島さんはとにかく話が熱いし、面白いし、わかりやすい。氏の熱い語りに触れるたびに、日本人の気高さ、日本人の誇りを感じることができ、「日本人で良かった」と思えます。素晴らしい語り部です。
金美齢(評論家)
上島さんとの付き合いは四半世紀以上になります。産経新聞社発行のオピニオン誌『正論』の編集者として長く論壇を支えてきた彼が独立し、著述やインターネット放送のキャスターとして活躍するのを頼もしく思っています。
彼はニューギニアやガダルカナル、サイパン、フィリピン、ビルマなどの戦跡取材のほか、台湾の李登輝元総統や〝老台北〟と呼ばれた蔡焜燦さんら、戦前日本の「真実の歴史」の扉を開く人々と数多く出会っています。私の夫の周英明が40年ぶりに台湾に帰国した折も同行取材してくれました。日台の歴史の絆は日本人に覚醒を促すものです。
どんな国にも光と影があります。日本は素晴らしい歴史を持つ国なのに、なぜ戦後の日本人は影ばかり見て、自らを貶めようとするのでしょう。子供たちが「我が日本」に誇りを持てるように、まず大人たちが、自虐でも、自尊でもない「真実の歴史」を知る必要があります。上島さんの話は大いに役立つでしょう。期待し、応援しています。
第1章 明治国家の輪郭
夷を以て夷を制す…日本流の素晴らしき革命
講義5 「日比谷焼き討ち事件」朝日新聞が煽った世論と軍部暴走の萌芽
17:20
講義6 「偉大なる軍人・木越安綱」大正政変に学ぶ組織運営の原理原則
10:34
講義7 「流産内閣・清浦奎吾」露呈し始めた明治憲法の欠陥
12:55
講義8 「桂太郎と原敬の密約」未熟な民主政治の光と陰
07:03
17:20
10:34
12:55
第2章 民主主義の罠と逆説
軍部「暴走」の序章
07:03
第3章 列強の圧力と対日工作
迫りくる国難と分断する国内政治
講義10 「右翼社会主義と治安維持法」
階級闘争、皇室打倒、昭和維新…日本に伝播するロシア革命の影響
08:21
08:21
講義11 「ワシントン会議と米国の陰謀」汲み取れなかった明治元老世代の「暗黙の了解」
14:08
14:08
講義12 「建艦革命と海軍の焦り」世界恐慌に追い討ちをかける米英ブロック経済
17:35
17:35
講義13 「統帥権干犯問題」始まった軍部の暴走、のちに明かされた「ある論文」の発禁処分
14:41
14:41
第4章 軍部独走の深層
混迷する大陸政策と日本国家の孤独
講義15 「張作霖爆殺と満州事変」2006年明らかになったソ連特務機関の陰謀
10:24
10:24
講義16 「満州国建国」赤い狐の謀略、リットン調査団の無知、国連脱退
17:13
17:13
講義17 「石原莞爾が目指した五族協和」予言された運命の日米戦争
14:41
14:41
講義18 「二・二六事件と加速する軍部の暴走」A級戦犯・広田弘毅が犯した不作為の罪
15:07
15:07
大日本帝国の政治学~なぜ軍部は「暴走」したのか?
講師:上島嘉郎(ジャーナリスト、産経新聞「正論」元編集長)
約5時間/オンライン講座
<プロフィール>
上島氏は、エリート揃いと言われる新聞業界のなかで、異色の経歴を持つ。
昭和33(1958)年長野県上伊那郡辰野町生まれ。母一人子一人の家庭環境で育つ。
中学生時代、家計を支えるために始めた新聞配達がきっかけで、毎朝、全国紙と地元紙に目を通すようになる。読者家で、新聞・雑誌への“投稿少年”でもあった。
一方で、梶原一騎原作の劇画「空手バカ一代」の世界に憧れ、空手にも熱中。中学卒業後は、「真の文武両道」を目指して、高校に進学することなく社会に出て働きながら独学を続けた。
その後、空手修行のため四国に渡り、21歳で愛媛県立松山南高等学校に入学。働きながら空手修行と投稿を続け、卒業後に愛媛県南部の地方紙の社主の目に止まり、新聞記者の道へ。
平成2(1990)年秋、産経新聞社の中途採用試験に「学歴高卒」として応募、大学卒業以上という受験資格の壁を乗り越えて合格、産経新聞社に入社。平成3(1991)年春にサンケイスポーツ編集局整理部に配属。
その後、
平成7(1995)年6月退社。「月刊日本」創刊編集長をつとめる。
平成10(1998)年10月 産経新聞社に復帰。以後、雑誌「正論」編集部。
平成16(2004)年2月 雑誌「正論」担当編集部長。
平成17(2005)年11月 雑誌「正論」担当編集部長兼別冊編集長。
平成18(2006)年11月 雑誌「正論」編集長(兼別冊編集長)。
平成22(2010)年10月 雑誌「正論」編集委員(兼別冊編集長)
平成25(2013)年12月より「日本文化チャンネル桜」キャスター。
平成26(2014)年7月に産経新聞社を退社。その後は「単騎」で活動。
平成7年に産経新聞社を辞めたのはフリーランスの記者として活動するためだったが、友人の斡旋で「月刊日本」の創刊に参画、初代編集長をつとめた。その後、金美齢氏や当時の吉田信行・産経新聞社常務取締役論説委員長との縁によって産経新聞社に復帰。以後、雑誌「正論」の編集に携わることになった。
「正論」時代には、石原慎太郎、渡部昇一、日下公人、竹村健一、西部邁、李登輝、早坂暁、松平康隆、曽野綾子、金美齢、上坂冬子、櫻井よしこ、長谷川三千子、百田尚樹といったビッグネームを担当し、マスコミ論では「反朝日」「反NHK」の論陣を張った。編集長として「別冊」を創刊、「日本を主語として考える」「事実に基づく」「論争を恐れない」「自社の利益より日本の名誉」などを意識して、「正論」を「諸君!」(文藝春秋)と並ぶ保守派のオピニオン誌として並び立たせた。平成21年5月の「諸君!」休刊時の内田博人編集長とのエールの交換は業界の語り種となっている。
産経新聞社退職後は、ジャーナリストとして雑誌、単行本執筆、テレビ出演など多方面で精力的に活躍中。
主な著書に『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(日下公人氏との共著、PHP研究所)、『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)など。
日下公人(多摩大学名誉教授)
上島氏は、雑誌編集者として一時代を築くとともに、近現代史の研究者として戦後の通説とされた歴史観に縛られない「博覧強記」の人でもある。
虚と実が交じり合う歴史戦において、「日本の真実」を語れる貴重な論客だ。
杉田水脈(衆議院議員)
慰安婦問題、徴用工問題、沖縄独立問題など「歴史戦」の現場の最前線を知るジャーナリスト。戦前との連続性を断たれた「現代の欺瞞」について知り抜いていますから、上島さんの話を聞くと「過去」と「今」がつながります。きっと新たな視点が手に入ることでしょう。
三橋貴明(経済評論家)
「正論」編集長時代から有名な話なんですが、上島さんはとにかく話が熱いし、面白いし、わかりやすい。氏の熱い語りに触れるたびに、日本人の気高さ、日本人の誇りを感じることができ、「日本人で良かった」と思えます。素晴らしい語り部です。
金美齢(評論家)
上島さんとの付き合いは四半世紀以上になります。産経新聞社発行のオピニオン誌『正論』の編集者として長く論壇を支えてきた彼が独立し、著述やインターネット放送のキャスターとして活躍するのを頼もしく思っています。
彼はニューギニアやガダルカナル、サイパン、フィリピン、ビルマなどの戦跡取材のほか、台湾の李登輝元総統や〝老台北〟と呼ばれた蔡焜燦さんら、戦前日本の「真実の歴史」の扉を開く人々と数多く出会っています。私の夫の周英明が40年ぶりに台湾に帰国した折も同行取材してくれました。日台の歴史の絆は日本人に覚醒を促すものです。
どんな国にも光と影があります。日本は素晴らしい歴史を持つ国なのに、なぜ戦後の日本人は影ばかり見て、自らを貶めようとするのでしょう。子供たちが「我が日本」に誇りを持てるように、まず大人たちが、自虐でも、自尊でもない「真実の歴史」を知る必要があります。上島さんの話は大いに役立つでしょう。期待し、応援しています。
<プロフィール>
上島氏は、エリート揃いと言われる新聞業界のなかで、異色の経歴を持つ。
昭和33(1958)年長野県上伊那郡辰野町生まれ。母一人子一人の家庭環境で育つ。
中学生時代、家計を支えるために始めた新聞配達がきっかけで、毎朝、全国紙と地元紙に目を通すようになる。読者家で、新聞・雑誌への“投稿少年”でもあった。
一方で、梶原一騎原作の劇画「空手バカ一代」の世界に憧れ、空手にも熱中。中学卒業後は、「真の文武両道」を目指して、高校に進学することなく社会に出て働きながら独学を続けた。
その後、空手修行のため四国に渡り、21歳で愛媛県立松山南高等学校に入学。働きながら空手修行と投稿を続け、卒業後に愛媛県南部の地方紙の社主の目に止まり、新聞記者の道へ。
平成2(1990)年秋、産経新聞社の中途採用試験に「学歴高卒」として応募、大学卒業以上という受験資格の壁を乗り越えて合格、産経新聞社に入社。平成3(1991)年春にサンケイスポーツ編集局整理部に配属。
その後、
平成7(1995)年6月退社。「月刊日本」創刊編集長をつとめる。
平成10(1998)年10月 産経新聞社に復帰。以後、雑誌「正論」編集部。
平成16(2004)年2月 雑誌「正論」担当編集部長。
平成17(2005)年11月 雑誌「正論」担当編集部長兼別冊編集長。
平成18(2006)年11月 雑誌「正論」編集長(兼別冊編集長)。
平成22(2010)年10月 雑誌「正論」編集委員(兼別冊編集長)
平成25(2013)年12月より「日本文化チャンネル桜」キャスター。
平成26(2014)年7月に産経新聞社を退社。その後は「単騎」で活動。
平成7年に産経新聞社を辞めたのはフリーランスの記者として活動するためだったが、友人の斡旋で「月刊日本」の創刊に参画、初代編集長をつとめた。その後、金美齢氏や当時の吉田信行・産経新聞社常務取締役論説委員長との縁によって産経新聞社に復帰。以後、雑誌「正論」の編集に携わることになった。
「正論」時代には、石原慎太郎、渡部昇一、日下公人、竹村健一、西部邁、李登輝、早坂暁、松平康隆、曽野綾子、金美齢、上坂冬子、櫻井よしこ、長谷川三千子、百田尚樹といったビッグネームを担当し、マスコミ論では「反朝日」「反NHK」の論陣を張った。編集長として「別冊」を創刊、「日本を主語として考える」「事実に基づく」「論争を恐れない」「自社の利益より日本の名誉」などを意識して、「正論」を「諸君!」(文藝春秋)と並ぶ保守派のオピニオン誌として並び立たせた。平成21年5月の「諸君!」休刊時の内田博人編集長とのエールの交換は業界の語り種となっている。
産経新聞社退職後は、ジャーナリストとして雑誌、単行本執筆、テレビ出演など多方面で精力的に活躍中。
主な著書に『優位戦思考に学ぶ―大東亜戦争「失敗の本質」』(日下公人氏との共著、PHP研究所)、『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)など。
石原慎太郎(作家)
この「正論」の元名物編集長は、気迫と男気溢れた日本男児である。異色の人となりについては、氏をモデルにした私の「一途の横道」という短編を読んでほしい。氏の著書が多くの人に読まれることを、私は以前から楽しみにしていた。
石原慎太郎(作家)
この「正論」の元名物編集長は、気迫と男気溢れた日本男児である。異色の人となりについては、氏をモデルにした私の「一途の横道」という短編を読んでほしい。氏の著書が多くの人に読まれることを、私は以前から楽しみにしていた。
形式:PDF書籍
形式:PDF書籍(全22ページ)
形式:PDF書籍
講義9 「平民宰相・原敬」動乱の時代に光る手腕と利益誘導、そして暗殺
07:03
07:03
講義14 「弱肉強食の軍縮協調」政争の具に利用された帝国憲法第十一条
14:41
14:41
講義19 「浜田国松のハラキリ問答」政治家の最後のせめぎ合いと民主政治の瓦解
15:07
15:07
第5章 「極東」の新興国の苦闘
国家としての成熟の時間を持てなかった日本
講義20 「戦後日本人が知らない日本の苦悩」大陸で連戦連勝だった日本が敗れた本当の理由
10:24
10:24
講義3 「大日本帝国憲法と教育勅語」教科書が教えない、十二の徳目「義勇」に込められた想い
講義10 「右翼社会主義と治安維持法」階級闘争、皇室打倒、昭和維新…日本に伝播するロシア革命の影響